「1月17日、空けといてもらえませんか」 「あ?」 俺には基本的に樹の思考回路がよく理解できないし、それは樹にとっても同じことだと思う。なのでこのときも、また何か妙なことを言い出したとしか思わなかったので、俺はただガンを飛ばしただけだった。 「すみませんやっぱいいです」 すると気味の悪いことに、樹は委縮しきった顔になり、早口で告げてぞんざいに頭を下げて走り去った。 「なんなんだよ……」 カレンダーを見る。17日は休日だが、祝日というわけでもないし、何かイベントごとがあるのかという見当なんてさっぱりつかない。 (何で逃げんだよ) その必要は微塵もなかった。けれど樹は明らかにおかしかった。もしかしたら決死の告白というやつだったのかもしれない。 ポケットから携帯を取り出す。樹にかける。三秒で繋がる。よく訓練された後輩だ。 「もしもし? 戻ってこいよ。は? 今すぐ!」 別にあいつを甘やかそうとかそんな気まぐれを起こしたわけじゃない。あいつの見栄の張り方が自分を見ているようで痛々しかっただけだ。 「自分と鳴さんの誕生日の、ちょうど真ん中の日で」 有耶無耶にして逃げようとしたがあっさり捕まった。そして吐かされた。寒いキショい女々しい、と罵倒の嵐が来るのを覚悟して、膝の上で手を握る。が、待てど暮らせど予想した展開は訪れず、目だけ上げて鳴さんを見ると、口を真一文字に結び難しい顔をしていた。 「あの、鳴さ」 「17?」 「え、あ、はい」 「わかった」 一瞬、言われたことに脳が付いていけずに固まる。 「アホ面!」 デコピンされながら、あ、やっと罵倒された、などと間抜けなことを考えていた。あまり痛くはなかった。 「はい」 14日よりも前に、それは渡された。差し出された左手にぽかんとしていると、右手も伸びてきて、俺の手を持ち上げて、薄い何かを無理やり捩じ込んだ。 「ねーちゃんがどっかで貰ったのの横流しだけど」 遊園地の入場券だ。そう理解するも、今度はそれを渡されたという事実を上手く飲み込めずにいた。 「お前が空けとけって言ったんじゃん。デートしてやるっつってんの。嬉しくないわけ?」 まくし立てて、不満そうに口を尖らせる。自分から歩み寄ったのにこちらの反応が薄いので恥ずかしくなったのだろうか。 「あ、いや、おとなって」 その場しのぎで咄嗟に出た言葉だったが、自分の中でかなりしっくり来た。意味の分かっていない鳴さんは怪訝そうな顔をした。 「普通より高い券で入るのを誰も止めないだろ、石頭」 申し訳程度に頷きながら、チケットの文字から目が離せなかった。高校生は子供だと言い張っていた鳴さんの手から「ADULT」と書かれたチケットが出てくるのが可笑しかった。 けれど、鳴さんが俺が喜ぶと思って考えてくれたのは、とても嬉しいかもしれない。 待ち合わせ場所に着いて周囲をぐるりと見回すと、不機嫌そうな鳴さんが視界に現れた。ほぼむくれ面と言っていい顔をしていて、ぎょっとする。 「おはようございます。あ、あの、待ちました?」 「待ってない。お前如きに待たされない」 俺の知識によると今のは絶対デートで言う台詞ではない。が、無言で背を向けて歩き出した鳴さんの左手が一瞬迷ったのを、俺は見逃さなかった。 空は一面雲で覆われいて、おとなと書かれたチケットで遊園地のゲートをくぐる頃には強風すら吹き出していた。 「何から乗りますか?」 「アレしか有り得ねーだろ」 やや心が折れそうになりながら未だむくれている鳴さんにお伺いを立てると、親指でぐいと進行方向を指した。ここで一番えげつないと評判の絶叫マシン。 当然、野外だ。 この後に予想される鳴さんの反応をそれはそれは克明に脳内再生しながら俺は生返事をした。 「さっぶ! 頭おかしいんじゃないの!?」 「出た、鳴さんのスーパー理不尽タイム」 降りるや否や鳴さんがあまりにも想像通りの言動を披露してくれたので、ごく小声でぼやくと、何か文句を言ったとは察したようで、キッと睨み付けられた。 「あ?」 「いや、……辛いなら帰っても……」 これは嫌味の類ではなく、鳴さんの鼻が赤いのが気になったから言っただけだったのだが、鳴さんの目が大きく見開かれて、耳を塞ぐことを思いつく前に鳴さんが吠えた。 「お前楽しくないの!?」 ビリビリと耳を震わせる音にはっとした。もしかしたら鳴さんがおかしい理由はそれだったのかもしれない、なんて。 「そんなこと、ないです。……一緒に来れてよかったです」 言葉を選んだつもりでも、やはりクサいと怒られそうな気がする。が、鳴さんはしたり顔で「だろ」と呟いただけだった。 その後の時間はちょっとした訓練と言って問題なかった。いかに効率よく多くの乗り物に乗るかだけを追求した。のんびり歩くとか一息つくとかそういうのは一切なく、自分の中のデートの概念がおかしいのかと一瞬、ほんの一瞬だけ思ったが、やはりおかしいのは鳴さんの方だという結論に至る。鳴さんが観覧車に乗ろうと言い出したとき「やっとデートらしいことをするんだ」と思うより先に「やっと休める」と思ってしまった俺に罪はない。 「この後さあ」 窓の外を眺めながら鳴さんが呟く。実は鳴さんは練習のとき以外はあまり俺と目を合わせない。 「あ、はい。もう帰るんですか?」 「……ケーキが美味い店があるって、ねーちゃんが」 すごい。デートだ。猛烈に感動する俺を知ってか知らずか、鳴さんはにたりと悪そうな顔をした。 「食わせてやるよ」 食わせる、とはどういう意味だろうか。奢るという意味か。ならそう言うはずだ。俺が首を傾げると、鳴さんの口から衝撃的な言葉が飛び出した。 「あーんして食わせてやる」 「は……!?」 「お前に拒否権ねーから。男二人で遊園地に居たって皆スルーなんだからケーキ食わすくらいで誰もガタガタ言わないよ」 異常に楽しそうだった。間違いなく今日一番の笑顔だ。 「でさ、樹。お前ファーストバイトって知ってる?」 「……なんですか?」 「……俺、お前がバカでムカつくこと多いけど、今すげー感謝してるかも」 「なんなんですか!?」 結果から言うと鳴さんの宣言通りにあーんは実行されたのだが、そのときの鳴さんがあまりに神妙な顔をしていて、動作はいっそ恭しいと表現していいレベルで、このケーキは本当に真ん中バースデーの記念なのか聞く勇気は出なかった。 2015/03/09 |