後ろの正面だあれ。 確認するまでもない。身に降りかかるこの状況を考えれば火を見るよりも明らかなのだから。 飢えた牙が今にも肉を引き裂かんと首筋に突き立てられている。 獲物をしゃぶり尽くそうとする唾液がそこから伝う。ぞわり、と身体に寒気が走った。 飽食の時代に生まれながらこの日本産オオカミはいつだってこの調子だ。 「暁君、離してくれる?」 「……やだ」 「首は怖いよ。ぞっとしたもん。そのままもうちょい力入れたら俺死ぬよ」 「……それもやだ」 牙から解放される。 『も』ってなんだよと思ったが、とりあえず俺が死んだら悲しんでくれるらしい。 首に触れてみる。まだそこに残る感触で、殆ど食い込んでいたことにやっと気付いた。 言ってしまってから、余計なことを言ったと思った。 生殺与奪を握っているのは君だと、わざわざ知らせてやるんじゃなかった。 まだ白旗を振る気はない。……今回は結果オーライだったけれど。 「食べたかったのに」 耳を低い声が震わす。腕は回されたままだ。 今度は肩を唇で甘く食まれ、意識を持っていかれそうになる。 「ッ……!」 油断ならない。 「赤ずきんちゃんは、食べられるものでしょ」 「……これは被り物じゃないんだけど」 『食べられるのが常』という意味か『食べられる物』という意味かどっちのつもりなのだろう。そもそもあれは女の子だ。 まして、俺をあの子に喩えるなら、自分の役回りくらい把握しているのだろうか。 「オオカミはお腹裂かれちゃうんだよ」 「それが君を食べた結果なら本望かな」 「……たまに恥ずかしいこと言うね」 彼は、言葉を継げなくなるようなことをこうやって平気で言う。 そうして、こちらが固まっている隙にやりたい放題してくれるのだ。 案の定、自分を拘束していた手が不穏な動きを見せ始める。 「ちょ……待って暁君本気?」 「うん」 「……なんですぐ襲おうとするの」 「ん……食い溜め? ほら、野生のオオカミは食べられるときに食べておくって言うし」 「人間なんだから飢える心配なんてないのに」 「……」 暁君が黙り込む。至極まっとうなことを言っただけなのに、何故だか目を真ん丸にして。 そして道産子オオカミはとんでもない結論に至る。 「いつでも食べていいってこと?」 「へ……?」 今度はこちらが黙る番だった。たっぷりと五秒は固まっていたろうか。 その間にも、とんでもないポジティブシンキングで沈黙を肯定と捕らえたのか、暁君は俺の腕を取ってすたすたと歩き出していた。 「どうしようかな……僕の部屋じゃマズいよね……」 思考がだだ漏れている。独り言であってほしい。いや、それもいやだ(同じ言葉をさっき聞いた気がする)。 「うーん、いっそ」 「暁君」 何やら恐ろしいことを言い出しそうな相手を遮る。 「何?」 「外は、いやだから」 殆ど懇願に近い言葉に、ふっと笑って 「わかってる。人間らしくね」 どの口がそれを言うかと思ったが、口には出さなかった。 なんだかんだ覚悟してしまっているあたり、赤頭巾はやはり食われる運命なのかも知れない。 2007/02/03 |