「信じらんない」
機嫌が氷点下に達した成宮の剣幕に押されながらも、ああ今の信じらんないの言い方ちょっと女子っぽいな、女兄弟に囲まれてるとそうなるのかな、などと考える程度の余裕が福井にはあった。要するに、慣れだ。
「え、何、あのバカ、そんなこと言ってたの? この期に及んで!?」
「相棒に向かってバカはなくない?」
「バカはバカだよ! それも救いようのねーバカだよ!」
「……あのさ、俺が勝手にバラしたんだから、樹を責めるなよ」
そもそもの不機嫌の原因は、多田野がこういうことを言っていた、と福井が漏らしたことに端を発する。
曰く。鳴さんが弱いところを見せてくれないのは自分が信頼されていない証拠なので頑張る。
「そんなの知るかよ、福ちゃんが黙ってたところでどうせあいつバカだからバレてたよ。第一、言わないでくれとか言われなかったんでしょ?」
「そこは大人の対応をしろよ……」
「高校生に大人の対応求めないでくださーい」
「ごめんお前小学生だったわ」
稲実のエース、御年16歳(早生まれ)である。
それでも、多田野のそういう言動に苦言を呈するようになったこと自体はいい兆候だと福井は思う。以前の成宮の態度といえば、多田野を歯牙にもかけない、というのが全く大げさな表現にならなかった。
「……むかつく」
成宮が腕で枕を作り、そこに顎を埋めた。
目は未だにぎらついていたが、声は少し弱っているときのそれだった。
「俺さ、これでも樹に結構気使ってるんだよ」
「それは、知ってる」
成宮が多田野に神経を割いていることは外から見ていてもよくわかった。慎重に距離を測ろうとしてみたり、引っ張ろうと意気込んでみたり、『俺が俺が』を絵に描いたような成宮にしては破格の待遇と言っていい。
「あいつのプライド考えて、凹んでるのをあえてほっといたことだってあんのに」
おそらく本心であろうと思ったので、あれわざとだったんだ、と言うのは踏みとどまった。
「なのにあいつ勝手に、ほんとむかつく……」
福井はこっそり溜息を吐いた。そろそろ助け舟を出してやろう。成宮がそろそろ可哀想になってきたし、我がチームを担うバッテリーが拗れたままなのは非常によろしくない。
「あいつも似たようなもんなんじゃないの」
成宮が少しだけ顔を上げた。
「どういう意味?」
「お前が動くまではつつかないようにしようとしてるんだと思うよ。多分だけど」
「……」
同じチームで野球をしていれば、皆、否が応でも成宮に惹きつけられてしまう。第一に実力だが、投手の矜持によるところも大きいと福井は分析している。もちろん、多田野も例外ではない。むしろ最たる例だ。
「あと、樹は本気で雅さんになろうとしてるんだと思う」
「……は?」
「言葉の綾だからな」
多田野は原田のコピーになることを望んではいないし、人は違う人間になんてなれはしないのだ。
「お前が100%預けてくれるようにって意味。な、樹」
成宮が面白いほどに体を跳ねさせ、ぐりんと首を回して福井の視線の先に目を向けた。自販機の紙コップを持った多田野がいる。
「え、何の話ですか?」
「お前殴るからこっち来いって話」
あれほど釘を刺したのに物騒な物言いの成宮を福井がはたくと、机の下で成宮に蹴られた。
「やですよ! なんなんスか!」
「じゃあ殴らないから来い」
左手で来い来いと促す成宮に、多田野は一瞬の迷いを見せた後、それでもこちらへ寄ってきた。よく訓練されているな、と思わず吹き出しかけた。もう、大丈夫だろう。
「じゃあ、あとは水入らずで」
そう言い福井が席を立つと、同じ動きでバッテリーの目線が追尾してきた。
「水入らずって、俺、弟いたことないんだけど」
「俺も鳴さんみたいな兄はちょっと……」
「よしやっぱり殴る」
「……お前らもう少しなんとかならないの?」






2014/08/21