動物園の生き物とか、標本の蝶だとか。
ああいうのは可哀想だよなと、心底思う。特にここ最近は身に沁みて。
そりゃあ、俺にだって無邪気な子供時代はあったから昔はすげーすげーと喜んでた。
でも、大人になった(?)今、それは卒業だ。人の痛みの分かる人になりましょう。よく言われた。
「髪を下ろすと幼くなるな。……うん、でもそれもいいな」
あ、刺さった。
それはアンタもだろうむしろアンタの方が、そう言った筈の言葉は声にならなかった。
真っ先にやられたのは伝達系統らしい。
「案外猫っ毛だ」
またやられた。ピンの来襲。ぷす、なんて生易しいもんじゃない、効果音をつけるならばドスッ、だ。
「知らなかったな。損をしていた」
四肢を串刺し、標本の一丁上がり。笑えねえ。
標本がされることといえば、収集か、観察か。どちらにしたって気持ちのいいものではない。
ああ、リアルに虫ピンで刺された蝶の気分(いや、そんなの本人じゃないから知らないけど)。
お約束のように相手の大きな身体は乗り出してきて、もとから近かった距離をぐんと詰められる。
そして、細部まで見落とすまいと意気込む小学生ばりの視線が降ってくる。――やはり観察が始まったか。
「――んま、ジロジロ、見ないでください!」
全壊したかと思われた機能は辛うじて生きていたらしく、絞り出したような、細い情けない声が出た。
しかしそれも死に際の白鳥の歌、瀕死の俺はそれ以上の言葉を紡げない。
「困ることでもあるのか?」
うわあ出たよその発言。わかってて言ってるのか素か。
虫の観察の小学生なら後者だけど、生憎この人は小学生ではないし、笑みを含んだ口元から察するに、圧倒的に前者だ。
イヤな人。嫌な人!
近づけば人のいろんな面が見えてくるとはいうけれど、これほどまでとは。
「だって、」
死んだ生き物は、自力で目だって閉じられないんだ。






2007/02/01