「金丸、ちょっと」
食器を返却口に返して出て行こうとすると、抑え気味の声に呼び止められた。田中だった。三年生への緊張感から金丸が心持ち背筋を正して返事をすると、田中は金丸を外に誘導してから、人目を憚るように殊更に声を低めた。
「東条のことなんだけどさ」
「東条の?」
その発言は予想していなかった。田中は東条の同室だが、それでだろうか。東条の素行は規範的と言ってよく、何か問題を起こすというのは考えられなかった。
「あいつ最近、なんというか、状態、良くないだろ。仲いいお前も、ちょっと気にかけてやってくれるか」
「え」
「頼むぜ」
と、肩を叩いて、そそくさと田中はその場を後にした。その理由はすぐに分かった。東条が食堂から出てきた。
「あれ、珍しい」
金丸の顔と田中の背中を交互に見比べて、それから金丸に視線を戻し、東条は言葉を継いだ。
「先輩、何て?」
「あー……、いや、大した話は」
自分で下手だとわかる誤魔化しもニコニコと聞いている東条は本当に人間が出来ている。
そこで、はた、と疑問を思い出して、本人に振ってみる。
「お前さあ、最近の打率どんなもん」
「え? 三割超えたくらいかな」
「だよな」
爽やかに腹立たしいことを言うのもいつも通りだ。
高い地力を遺憾なく発揮し、すこぶる好調で、指導者たちの覚えもいい。それがいつもの、そして最近の東条だ。だから、状態が良くないと言われて固まってしまった。
だってそんな東条を、自分は知らない。
「ふぁ……」
無駄に品のいいあくびを東条がした。
「寝不足?」
「ちょっと。授業中寝れないから昼に速攻飯食って速攻寝るわ」
呑気そうに言う声を聞きながら、金丸は背筋が冷えるような心地を味わっていた。



東条とは長い付き合いになる。隣の席に座って試合に赴いたことも何度も、ある。
基本的に東条は眠りが深く、試合帰りに疲れて寝てしまうと、バスが止まるギリギリまで起きないのが常だった。そもそも金丸自身が眠ってしまうので、その間のことは分からないが。
ただ、たった一度だけ、魘される東条を見たことがあった。
小さな呻き声を上げ、頭を何度も振ってそのたびに髪の毛で金丸の頬を叩き、起こそうか起こすまいか金丸の持ち上げた手が迷っていると、がばりと東条は身を起こした。
猫のような目をかっと見開いたと思うと、そのまま十五秒ほど微動だにしなかった。それから、半開きのままだった口から「何時?」と金丸に問うてきたので金丸は脱力してしまった。
まさか、あのときと同じことが、ずっと続いているというのだろうか。
白い布団の繭がもぞもぞと動いて、中から東条が這い出して来る。子供のようにおぼつかない動きでベッドの縁に腰掛けて、碌にピントの合っていない目で一点を見つめ続ける。
それを、二段ベッドの上から見ている。それがあの先輩の常なのか。
どくんと、脅かすように心臓が鳴った。
「お前って、見た夢の内容、覚えてる?」
何でもない風を装いたかった弱弱しい声に、東条が振り向く。
「覚えてない」
あの時と寸分変わらぬ仕草で、困ったように頭を掻きながら。






2014/08/20