名門の名が引き寄せるのか、この部には放っておいても化け物がやってくる。
長い距離をおいて向き合うこいつも、自ら青道を志願したらしい。
「ナイスボール!」
左手に重い感触を伴ってボールが収まる。
これで一年だというのだから末恐ろしい。
ただ、守備はからきしらしく、よく上からお叱りを受けている。
――あ、ボール弾いた。いや、ドンマイじゃねぇよあんな山なりの返球を。
しばらく左手で球拾いに難儀していた降谷だが、空いた右手でようやく拾い、定位置に戻る。
降谷がそこに立った時、空気が震えるのがわかった。
マウンドを支配する存在感。それは紛れもなく、全てをねじ伏せる投手のもの。
まだ粗削りだが、いずれこのチームを引き上げる力に成長するだろう。
『先』は安泰であると言っていい。
でも、今ここには。
――居るべき筈の人間が、欠けている。


先輩の肩の状態は酷いものだった。
厳しい訓練により徐々に回復に向かっているようだが、彼は選手として前線に立つことを諦めてしまった。
今はどうしているのだろう。まだ、帰っていない筈だが、姿は見えない。
「――先輩」
頷いて構える。降谷が上体を引き絞る。ひときわ重い球が、来る――
(――あれは?)
「っ」
「!」
強烈な痛みが走る。じんじんと、皮膚の下で血が熱い。降谷が駆け寄ってくるのが見える。
「御幸先輩、平気ですか」
「わかんね……つっ」
ミットから左手を抜き取る。悟られぬよう視線を巡らすことも忘れない。
腫れてはいない。
手首を振ってみる。ちくりと痛むだけだ。
そして、指を――
「え……」
「御幸、どうした?」
「クリス先輩」
案外側に居たらしいクリス先輩が様子を見にくる。自分の見間違いではなかったらしい。
そして、微かに赤い手にまた目を落とす。
「……やべぇ、手が言うこと聞かねえ」
「何だって」
ちらり、と先輩の顔を窺い見る。
微かにこわばった表情。
「先輩、全快はいつごろになりそうですか」
口を開きかけ、しばし逡巡し――
「わからん。――しっかり手当てしておけよ」
お先に、と先輩は去っていった。
「――ちぇ」
舌を出す。大袈裟に左手を握ったり閉じたりを繰り返す。問題ない。
「先輩、今の、う……むぐっ」
言いかけた言葉を無理矢理塞ぎ、振り返らない背中を睨む。先輩は単調に歩みを進める。
「嘘も方便っつーだろ」
いよいよもがき始めた降谷を解放してやる。
「――分かってないのはあの人だけだ」
「……」
降谷の瞳と唇が、何か言いたげに動く。そうして、結局口を噤んだ。
皆、肝心なことは言わない。
「あーチクショ、痛てー。冷やしてくるわ」
「え、先輩本当に……」
「痛めたのはホント。……あー、しゅんとするなって。すぐ治る」
やっと、降谷が表情を緩める。
最近分かったことだが、こいつはとても分かりやすい奴だった。
「あの人もお前並みに分かりやすきゃいーけどな」
「え?」
「組む相手捕まえとけよ」
「捕れる人、いません」
「ははっ。あんま青道ナメんなー」
軽く降谷の肩を叩いて歩き出す。
許される程度の、小さな芝居だと思った。
でも、その次元にさえ辿り着けなかったことを知る。
見られなければ、意味もないのだ。
「……」
門の外にその姿が消えたのを認める。
――なあ先輩、気付いてる筈だろ?
あなたと共に戦うことを、誰もが望んでいる。






2006/12/02