泳ぎ方や自転車の乗り方は忘れないというが本当だろうか。そんなことを言い出した偉い人は、突然息が苦しくなって酸素の吸い方を思い出せなくなったり、地面に立っている両足の感覚がなくなった試しがないのだろうか。到底無理だ、と思う。
俺はといえば、考えたことすらなかった『人との距離』について考えて、動けなくなっている。いや、特定の物事を指して一般論みたいに語るのはやめよう。善悪の話じゃなくて、きっとすぐにバレてしまうから。
俺は、金丸信二との適切な距離がわからずにいる。
元々、問題視されるほどに近いというわけではなかったと思う。付き合いは長い。けれどチームメイトだ。誰かに寄りかかりながら野球はできない。
ただ、ここ最近は、となり合っていた俺達の場所の間に、人一人くらい入れるようになった。俺の『なんとなく』で構成される不定愁訴のような悩みの中で、これだけは事実だ。
なら俺は身の振り方を改めないといけない。特に根拠もなくそう信じ込んだ。
クラスを訪ねるのを控えるようになった。お互いのみで通じる符丁――何しろ昔の俺たちときたら箸が転がってもおかしかったので、その種類は多岐にわたる――を使わなくなった。
その結果がこのざまだ。呼吸のようにしていた会話の仕方を思い出せない。
遠い、と思ったのはいつの間にかだったけれど、手を離したのはたぶん自分の方だった。
(さて、この状況どうしてくれよう)
今は休憩中だ。解散の号令がかかってすぐに、信二が悠々と歩いてきて横に腰を下ろした。ポカリを煽るその顔に一切の気負いは見えない。あまり見るのは挙動不審すぎると思い目を離そうと、したところで信二のあるパーツに目が釘づけになってしまった。思い出し笑いならぬ思い出しガン見だ。
箸が転がってもおかしかった俺たちは、右の頬を打たれたら左の頬をも向けなさい、という言葉が妙にツボに入った時期があった。グーでもパーでも実際に打つのは痛いので、どうしていたかというと抓っていた。爪という字が入るけれど、痛いから爪は立てないのがルールだ。肉のついていないそこを見ているうちに手を伸ばしていてハッとした。会話の仕方は忘れるくせにこんなところだけ覚えているのか、俺の体は。
視界の端に映ったであろう手を不審に思った信二がこちらを向き、それからニヤッと悪そうに笑った。
先手必勝、とばかりに両頬を指の腹で抓られた。






2014/10/26