夏が終わる、という言葉に皆が二つ目の意味を共通して見出すくらいには、そういう意味での夏という言葉は定着している。
誰かがなんで夏に甲子園をやるんだと言っていたっけ。クリス先輩も親父さんに言われた、らしい。
確かに夏の炎天での野球は常に熱射病との隣り合わせだし、北からやってきた怪物くんなんかは結構ヤバいラインにいたりする。
けれど少し声を上げたところでずっと続いてきたことが覆るはずもなく。今は所謂大事な時期という奴だ。
でも、だからこそちょっとの恨み言を許してくれてもいいと思う。
甲子園が夏ということは、つまり。
「止まねえ、なぁ」
机にべたりと垂れていた沢村が沈んだ声を出す。
夏に向かって戦っている以上、どうしたってこれに阻まれる。
ゆうに丸二日降り続けていた雨は今日になっても止まずに、コンクリに跳ね返っては音を立てている。
閉め切っていたらどうあがいたって熱気がこもる。
だから窓は降り込まない程度に開けっ放しにしていた。が、とうとう陰鬱な音に負けてついに窓を閉める。
折角二人っきりでいるのに気分が沈みっぱなしというのはよくない。
「ん、センパイ……?」
ただでさえ無きに等しい沢村の注意力はさらに散漫になっていた。かしゃりという音でやっと俺の動きに気付いたようだった。
答える代わりに背中に引っ付いた。抵抗する気力もないのか、そのままにしておいてくれる。
早めに切り上げられた練習のあと、沢村以外にこの部屋の住人は戻ってきていない。
大方、俺の部屋でDVD鑑賞会でもしているんだろう。なら、もうしばらくはこうしていられる。
「何してんの」
俺が離れたことにはすぐ気付いた沢村に気分をよくしつつ、玄関へ向かう。
「来ないなら・鍵を閉めちゃえ・ホトトギス」
施錠して、だめ押しでチェーンもかける。邪魔が入らないようにするくらいは許されるだろう。
何か言いそうな感じに沢村の唇が開いた。開いたまま、音を発することなく、止まる。
隣に腰を下ろすと、珍しくも腕が伸びてきた。
「何?」
「……えと、」
まだどこかぽやんとした目。多分何も考えずに発言しているのだろう。そのあとが続かない。
「誰も、来ないんだよな」
確認するように言うと、ぎゅっと抱きしめてきた。
反応できなかった。抱き返すことも、声をかけることもできずに、ただ呆然としていた。
沈黙が耳に痛い。沢村の肩越しに、視界には六月の空。あれほど恨めしかった雨の音が恋しくなってくる。
しとしとと降り続けては、窓を曇らせる。色で辛うじて、紫陽花がわかる。
「あー」
先に声を発したのは、沢村だった。よくわからない唸り声。次の瞬間には、腕の戒めが解かれ、俺は支えを失いよろめいた。
「決めた!!」
ガタンと音を立てて沢村が急に立ち上がる。その拍子に机から携帯やら菓子の袋やらを落とすことも忘れない。
「結婚しよう!」
唐突に宣言された。――あれ、今こいつ隣の部屋まで筒抜けな声量ですごいこと言った?
「は?」
寝惚けてるんだよなと、頬をぺちぺち叩く。しかし、期待に反して、沢村は「なんでわからないのか」と言わんばかりの調子で同じ台詞を繰り返した。
「仏滅だぜ?」
我ながら、間抜けな台詞だ。多分、物凄い嬉しいことを言われたんだろうとは思う。けれど思考がついていかない。まして相手は素面じゃない。
俺の言葉にはちっとも怯まずに、沢村は熱を持った声を響かせた。
「結婚したいと思ったときがするときだ!」
さらに、手を取られてしまった。真っ直ぐに瞳で射られ、胸が高鳴った。不覚にもほどがある。
奇しくも今は六月だけれど、ジューンブライドにちなんでなんて、そんな沢村自身が一番嫌がりそうな洒落――頭がぐちゃぐちゃになる。せめて声量は落としてくれ。
そんな俺の願いが伝わったか、俺がしっかり言葉を認識したのに満足したのか、今度は穏やかな声が発せられる。
「俺の勘は外れないから」
「――っ!」
俺の勘、だなんて。まるで。
それって、俺を追いかけてきてよかったってこと? そう言われてるみたいだ。思ってしまったけれど、そんなこと流石に聞けずに、口ごもる。
代わりに一つだけ、大人の立場からの指導を。――正直なところは、自制と自己防衛だけれど。
「二年経ったら、もう一回同じこと言ってみろよ」
法くらいクリアしてみろと、あくまでからかい半分を装って。男同士だとか言われたらキリがないけど。
なのに、次の言葉は怒りとかじゃなく。
「待っててくれんの?」
きらきらした瞳は、まるで愛しいものを見るようで、陥落してもいいかなと思い始めてしまう。
むしろ、お前こそ待っててくれるのか。幼い俺たちには途方もない先までの約束を、してくれるというのか。
ガキの癖に、いっちょ前にプロポーズ予告かよ。
――そんなの、惚れ直さざるを得ないじゃないか。
「ちゃんと、待ってるから」
答えた自分の声が妙に甘ったるくてむずがゆい。
返事を聞き届けると沢村は、この場に不釣り合いなくらい明るく笑って、俺の胸に飛び込んできた。






2008/06/30