「お前、実家に帰るの」
いつも以上のぶっきらぼうで、エースが問うた。
寮生はまだ子供。親元に帰る時間も必要と、束の間与えられた休息だった。
「いえ、すぐ帰れるんで」
樹は即答した。実家は日帰りできる距離にあるので、たまの休日をわざわざ潰すまでもないと思ったのだ。
逆に、行き帰りだけで慌てる羽目になるので、地方出身者にも居残り組は少なくない。
ふうん、と鳴が鼻を鳴らした。いかにも興味のなさそうな声だと、少なくとも樹はそう思ったが、ややあって開かれた鳴の口からは、樹が想像し得なかった言葉が出てきた。
「俺の実家遊びに来る?」
「え、いいんですか、自分が行っても」
それは樹にとってほとんど青天の霹靂だった。両想いだとは思う。けれど、そんなに気安い関係ではない。
「あーでも女に耐性ないと生き残れないよ」
浮かれを声に滲ませた樹をからかってか、あるいは単に照れ隠しか、鳴が悪だくみを思いついた子供の顔になる。
「えっ……えっ!?」
「姉ちゃん二人いんだけどさ、あいつら常に若いエネルギー欲してるから、男子高校生とか餌だよ、餌」
想像してほんのりぞわりとしたものが背筋を走るも、次の瞬間にはとある理由で興味がわいてくる現金な樹である。
「鳴さんに似てますか?」
「……どういう意味にしても、嫌な食いつきかただな」
「すみません」
「可愛がられると思うよ。俺よりジュージュンだし」
何か昔のことを思い出したのか、言葉の最後の方は唇を尖らせていた。自分の可愛げのなさは承知のようだった。
「じゃあ明日の授業終わったら一泊分の荷物持って集合ね」
「一泊?」
「何、文句あんの? 誰が好き好んであんなとこに長居するかって。蛮族の住処だよ、蛮族の」
「いつも思いますけど鳴さんの言い方って自分よりよほど大げさですよね……」
「うるさい」
自分が16歳であるという事実を彼方に放り投げた膨れ面をしていた鳴だが、ややあってニヤリと笑った。
「あー、それともお前、もっと俺と一緒にいたいの」
「……!」
図星だった。それ以上何も言わずとも樹の心情は駄々漏れであったため、鳴の機嫌はすっかり直っていた。



「鳴さん……理解しました」
「……だろ? ディスイズ蛮族だろ」
鳴の予言通り、姉たちの樹への食いつきぶりといったら餌に対するそれだった。自分たちが遥か前に通り過ぎた高校一年生を弟が連れてきたとあっては、囲んで質問攻めにして離さない一択だ。それを当然のように鳴が見張っているものだから、鳴の母が横を通るたびに「人口密度の高い一角だね」とぼやき混じりに笑っていた。
当然と言えば当然だが、到底二人にはなれないまま夕食を迎えた。
「樹くんもいっぱい食べてねー」
成宮家を構成するのは子供の数に相応な年齢の鳴の両親と成長期を過ぎた鳴の姉二人。しかし出てきたのは肉、肉、揚げ物。明らかに野球部二人に寄せたメニューだった。
「いただきます」
手を合わせて料理に手を付ける。鳴の母の料理は文句なしに美味かった。カニクリームコロッケに舌鼓を打ちつつちらと横目で鳴を窺うと、向こうもこちらを見ていたのか目が合った。
「樹くんは箸の持ち方綺麗だな」
鳴の父がしみじみと言った。まさに今鳴に対して思っていたのと同じことを言われて、樹は内心どきりとした。
「そうですか? 考えたことなかったです」
「綺麗だって! 育ちよさそう!」
すっかり樹を気に入った鳴の姉たちは相変わらずテンション高く絡んでくる。その様子を鳴が睨んでいるので樹は気が気でない。そして、アルコールが入って気分のいい鳴の姉の行動はさらにエスカレートする。
「樹くんも、どう」
とろりとした目で、飲んでいた缶チューハイを樹のほっぺに押し付けてくる。ひやりとしたのは、缶の冷たさだったのかもっと別の理由だったのだろうか。
「じ、自分出場停止になっちゃいます!!」
「ねーちゃん俺のおもちゃで遊ぶなー」
樹の決死の抵抗にほぼ被さるように鳴の制止が飛んだ。あまりにあまりな言い方だったが正直なところ助け舟だった。が、鳴の我慢はどう見ても限界に達しており、いつ余波が飛んでくるとも知れず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ちょっと聞いたー!? 樹くんに人権ないの!?」
「ドン引きー」
「ほらー食事しながら喧嘩しなさんな。樹くん困ってるでしょ! あ、樹くん、おかわりあるからね。遠慮しないで言ってね」
「いただきます!!」
我の強い子たちをずっと仕切ってきた母はさすがの強さだった。目の前でギスギスされながらだとまともに食事した気にならないので今度こそ救われた心地がした。
それにしても気になるのは鳴だ。下手をすれば姉二人よりよほど樹から視線を外さない。何か気に障ることをしただろうかと思いを巡らせていると、さきほどよりは幾分落ち着いた声で、ねえ、と樹を呼んだ。
「美味しい?」
「はい、すごく! すみません人様の家でガツガツ食べちゃって」
「いや、それはいいけど。ね?」
鳴が母に目配せすると、もちろんと明るい声が返る。
「寮でも手作りの食事で皆で、ですけど、こうやってテーブル囲むのもまた違うというか」
つい饒舌になってしまいハッと鳴を見ると、目が点になっていた。鳴の両親もだ。姉二人は何がツボに入ったのか黄色い声を上げている。
「自分また恥ずかしいこと言いました!?」
「恥ずかしいけど。そうじゃなくて。……まあいいや」
鳴は少し機嫌が良さそうに見えた。そろそろ鳴の人となりにも慣れてきたが、未だにどこでスイッチが入るのかはよくわからない。
「鳴、浮かれてるな」
「浮かれてないし。黙って食べなよ」
父親に噛みつき、鳴は茶碗を流しに持って行く。隙を見つけたとばかりに、鳴の母が樹に耳打ちしてきた。
「鳴末っ子だから、年下ってあんま慣れてないのよ。あれで神経細いところあるし、友達はいても連れてくることってあんまりなくて、樹くんみたいな子って貴重。……気が向いたら、たまに弟してあげて」
鳴が大股で戻ってきた。
「なにー!? 密談?」
「そ、密談」
「お前いじめられてないよな?」
「鳴がそれ言う?」
「姉ちゃんマジ黙れ」
やりとりに思わず笑みをこぼすと、また姉たちが黄色い声を上げた。






2014/07/21