「もう一勝負!」
「いいぜ。ただし、『条件』は継続でな」
「望むところ!」
盤面で駒が踊る。
将棋盤は、同室の先輩に借りたものだ。
なぜか脚つきの上等な品で、よくこんな重くてかさばるものを運び込んだものだと思う。
序盤こそほぼノータイムで威勢いいとも言える指し方をしていた沢村が、中盤にも差し掛かると決まってうんうん唸り始めるのを見て、御幸はいつもこっそりと笑う。
何故何度負けても挑んでくるのやら。それは、『勝負』という言葉で自分が煽り立てているからだとは知っているけれど。
「王手」
「げっ」
勝負を分かつ瀬戸際で、いよいよ沢村の挙動不審は頂点に達した。
水面の魚のようにしきりに顔の筋肉をぴくぴくと動かし、手は膝の上で握ったり開いたりを繰り返している。
やがて、緊張に耐え切れなくなったのか腕を持ち上げ、雄叫びを上げた。
「だーっ! もうわかんねー! ここだ!」
「はい、王様もらい」
まだ成ってもいない角にぴったりと寄り添われた玉将を見て、沢村が固まる。
一瞬後には、ヒートアップして赤くなっていた顔が一気に青くなる。
「マジ、かよ……」
「マジもマジ、大マジ」
「うぅ……」
一気に落胆する沢村と、
「さーて、なにしてもらっちゃおかな?」
したり顔の御幸。
平たく言えば、賭けをしていた。条件とは、それだ。
勝った方の言う事をなんでもひとつ聞く。
よくある話だが、『なんでも』というのはよく考えれば危険な話だ。
普段の御幸の言動があまりにあんまりなことと相俟って最初のうちはびくびくと怯えていた沢村だが、最近は腹を決めたらしい。
「……命令は」
「んー、そうだな」
御幸はわざとらしく顎に手を当てて考えていたが、やがて、いいこと思いついたとばかりに眼を輝かせた。
「名前、呼んでよ」
「は?」
「下の名前」
予想外だったのか、はたまた御幸の顔を見るなり大声でフルネームを叫んだ沢村にも先輩に対しての遠慮のようなものが欠片ほどはあったのか、とにかく、さっきの数倍ほどの時間、たっぷりと固まった。
「え、ホントに?」
「俺が嘘ついたことが?」
「ある」
「……お前、即答するなよ」
呆れたため息には答えずに、沢村は顔を抱えてあー、とかうー、とか声にならない叫びを上げていたが、やがて手から目だけを出し
「かずや、サン」
「どうせなら呼び捨ててみようぜ」
呼ばれた時点で十分満足したが、欲が出た。突く度に表情の変わる相手は、また動揺を顔に滲ませる。
「や、ほんと無理」
「勝者誰?」
「……」
こういう追い詰め方をすればぐうの音もでないらしい。
これはただの我侭だし、正直なところ、このころころ変わる表情が見れるだけでもよかったのだけれど。
浮かんだ覚悟の表情に、期待していいのだろうか。
「……一也! ッ、これでいいんですか」
「……」
時間が止まる。今度は、御幸が固まる番だった。
「ッ」
「センパイ?」
「……あっはっはっはっ!」
「……え?」
一瞬蹲り、顔を上げた途端に御幸は笑い出した。
「はは……、っ、ごめん、だって呼び捨てで敬語って」
「な、悪いんスか!?」
「可笑しーんだもん」
膨れてそっぽを向いた沢村が本気でへそを曲げないうちにと、宥めるように背を叩く。
「いーよ、今はまださん付けで」
今はまだ、座りが悪いから。






2007/01/31