頭脳プレイといえば主にキャッチャーの仕事である。
すなわち、人心掌握は十八番でなければ、誰よりも抜きん出ていなければならない。
試合の外といえども、気を抜くことは許されないのだ。
人をたらしこむには、誠意と、油断させるための少しの隙と、タイミングだ。
例えば今、微かに弱くなった声の調子を見逃すようなことはしない。今ならこんな態度も許される、そんな確信のもとに甘えてみせた。
「俺だってね、寂しかったんだよ」
こつりと、顎を倉持の頭に。これで相手から表情は見えない。
性格悪いな、と自分でも思う。だが、このままではあまりにフェアじゃない。
流石に倉持は察しがいい。これだけで言わんとしたことがすべてわかったらしく、何も言ってこない。
顔を離すと、目が合った。三白眼からは、射抜くような光。
何か言おうと開きかけた倉持の口が、そこで止まる。それに遅れて、足音が聞こえてきた。外の気配に気付いて、黙ったのか。
鍵を閉める、金属と木の擦れ合う音がした。息を潜めて人が去るのを待つ。目は合ったまま。
睨み合いの末、鍵が開いた。――この個室の。
いつの間に出て行ったのか、足音が遠ざかっていく。背後に伸ばされていた指がドアを押し、また引かれた。
「ほら、行くぞ」
そうして、ずかずかと個室を出て行く。御幸の、腕を掴んで。
倉持は振り返らない。それをいつもなら残念に思うけれど、今はよかったと思っていた。
こんな幸福でほどけた顔を見られたら、容赦なく蹴りが飛んでくる。
「何乗るんだよ」
間の持たなさに意外に早く音を上げた倉持から、ぶっきらぼうな声が飛ぶ。けれど、その言葉は甘い。まるで駄々っ子を連れた母親だ。
急なパスに答えを思い浮かべられず、狼狽した。きょろきょろと首を回して、最初に目についた大きい建造物を指差す。
「あれ、」
「あ?」
「あれ乗りたい」
「……」
倉持の、元からいいとは言えない人相が、さらに悪くなる。
「ふざけてんのか」
え、と目を凝らす。
(――げ)
倉持が怒るのにも無理はなかった。指の先にあったのは、金や白を基調にしたクラシカルな回転木馬。
明らかに、自分たちでは対象年齢を大幅に超えている。
「いーじゃん乗ろうよ」
しかし、御幸は引かない。こうなると、ただの意地だ。
「まだ気持ち悪いから、あんま激しいの無理」
「っ!」
誰かさんのせいで、とは言わない。責める意図ではないし、ここで怒らせては元も子もない。
さりげなく歩いて誘導しながら、倉持の顔を伺う。歪められた眉が「困っています」と主張していて可愛い。
「しゃーねーなー……」
ぴくり、と自分の身が反応したと御幸は自覚した。迂闊な態度は取れない。
倉持の足が自分と同方向に向くのを見て、内心ガッツポーズをとりながらやっと「ありがとう」と言った。
「あ」
「何?」
いーこと思いついた、と倉持が意地悪く笑う。
「え、2人乗」
「やらねーよ」
がっくりと肩を落としながら、御幸はこっそり倉持の手元を見ていた。ポケットに伸びる、細い指。
騙されかけた自分に苦笑する。ああ、やっぱ倉持だもんねぇ。
いつになく優しいから、本気で喜んでいたのだけれど。やはり同類。もっとロマンチックに表現するなら、俺たちお似合い、だ。
「何ニヤニヤしてんだ」
「んー別に。倉持が俺のリクエスト聞いてくれて嬉しいなってだけっ」
言って、小走りに。一気に倉持を追い抜く。はたから見れば、恥ずかしい台詞を言い逃げした図。しかし、
「あ、おい待て」
倉持の明らかな狼狽に、御幸は相手の意図を確信した。スピードを上げて、係員にパスを見せる。そうして、早々と乗り込んだ。
馬車――「車」の部分へと。
「あー! テメー」
息を切らしながら、目を吊り上げて倉持がこちらを睨んでいる。その手にはやはり、携帯。
「折角撮ってやろうと思ったのによ」
「はは、勘弁……」
顔が見えない馬車に乗り込んだのはそんな意図に気付いてのことだった。
「むしろお前撮ってやろうか?」
「ざけんな」
「えー。お前と違ってばら撒いたりしないのに。思い出作ろー?」
「キショいんだよ」
言いながら、もう作戦の失敗はどうでもいいというような顔に変わっている。御幸はほっと胸をなでおろす。
倉持は馬を吟味することに意識を引っ張られていた。背をぺしぺし叩きながら。
「俺こいつー。リリシーから」
「洋一くんかっこいー」
携帯を向ける。四角い枠に、倉持の手のひらが収まった。
うん。すっかりいつもの倉持だ。
斜めになったご機嫌は真っ直ぐにしないとね。御幸は例の司会者の言葉を噛み締める。





メリーゴーランドが停止すると、柵の外に伊佐敷のうろたえる姿が見えた。
一緒にいたはずの結城がいない。
リードを外された犬よろしく伊佐敷に駆け寄る倉持に続いた。
「純さん、哲さんどうしたんすか」
「ああ!? あそこだよ!」
「え、」
指の向いた先は、先ほどまで御幸たちが乗っていたメリーゴーランド。
「哲の奴、お前たちがあっち行った、つって一人で走って行きやがった」
「ありゃ」
すると、音楽が流れ出し、馬や馬車たちが回りだした。
「哲さんもう並んじゃったかなー……って!」
「んだようっせーな……ええ!?」
叫んだ御幸につられてメリーゴーランドを凝視した倉持が、これまた大音量で叫ぶ。
「……今、哲さん乗ってましたよね、明らかに」
「……」
伊佐敷は頭を抱えた。後輩が叫んだときこそ見逃したが、二周目で、仏頂面でひとり白馬にまたがる結城をはっきり目視してしまった。
俄かに柵周辺がざわついた。
デジタルカメラや携帯電話を手に持っている辺り、先程同じ状況になった二人はああ身内を撮ってるのか、と納得しかけたが、それにしては老若男女揃いすぎている。
きゃー、かっこいい、と黄色い声。
「王子だ! 白馬の王子がいる!」
「こっち向いてー」
「暴れん坊将軍みたい!」
これは、まさか。
「……うわぁ、哲さん大人気」
白馬というフレーズに嫌な予感がした次の瞬間には、視界に現れた結城がフラッシュを焚かれていた。
流石の伊佐敷も同情しかけたが、律儀にカメラに顔を向け、手まで振るサービスをする結城を見て、顔に青筋を浮かべる。
黄色い声に混ざって、わー、っと幼稚園くらいの子供たちから歓声が上がる。
「純さん、わかってると思いますけど、子供相手に怒鳴るのは」
「わーってら!!」
きん、と頭の奥に響く音に御幸は首をすくめた。耳が痛い。
「リンチののち放置だな」
さらりと滑り出た恐ろしい台詞に御幸が苦笑すると、倉持が伊佐敷の首を下から引く。
「あ、じゃあ今度俺と乗りましょーよあれ」
え、と御幸が割り込む間もなく、あっさり伊佐敷が「いーぜ」と同意した。
おっしゃ、と笑う倉持のはしゃぎ方は、結城を前にした幼稚園児と張るくらいで、御幸は脱力する。
すげー喜んでやがる。俺と一緒のときだって、少しは嬉しそうにしたらいいのに。
「……技術より、魅力とかそーゆー部分が必要なのかな」
思わずぽそりと漏れでた弱音に、倉持と伊佐敷が同時に振り向く。
「何その斬新なアイデア」
「囁き作戦も悪かねーが、相手の投手口説くなよ」
「……何でもありません」
結城が、何度目かのフラッシュを焚かれている。






2008/02/14