プトレマイオスが、何かを探している。どたばたと音を立てながら箱を上げたり下ろしたりしている。
「……」
どすん、はないだろう。一体何を収集しているのだ、この主人は。
手を出したくて仕方なかったが、座っていろと命令されたのだからどうしようもない。
ちなみに、万一に備えバーティミアスはプトレマイオスの姿をしている(夜に入ってくるのは関係者よりも刺客と相場が決まっている)。
座っている者と動いている者。
この場に誰かが入ってきたら、プトレマイオスの方を妖霊と思うだろう。
それは尤もなのだが、少々いただけない。
自分ならもう少しスマートにやる(焦れて全ての箱を燃やす、くらいはやるかもしれないが。まあ、そこはご愛敬だ)。
「あった!!」
「……おー、ごくろう」
プトレマイオスが箱を開くと、羊皮紙、インク、ペンが出てきた。
「いつも使う物じゃねぇか」
そんなものすぐに出せる場所においておけ、と目で言う。
「予備だよ。前口は使ってしまってね」
「とんだ勉強家だな」
「どうも」
クスクスとプトレマイオスが笑って、バーティミアスの座るベッドに乗り上げてくる。
こんな風にひどく上機嫌なときは、碌でもないことをしでかすに違いない。
関われば面倒ごとになるが、わざわざ自分を呼び出したとなると、関わらせるつもりだろう。
「……何をするんだ?」
観念して聞くと(甘やかし癖がついてきていけない)、プトレマイオスは目をきらきらと輝かせた。
「それだよ。本題に入ろう。話を聞かせておくれ。おとぎ話を。いつでも読めるように書き取るから」
それを聞いて、バーティミアスは口を尖らせる。
「おいおい。おとぎ話よりよほど面白い話を何度もしただろう? おれの武勇伝では不足か?」
「まさか! ただぼくがそういう類の話を知らないから興味があるだけだよ。きみなら沢山知っているだろう?」
そこまで言って、プトレマイオスはポンと手を叩いた。
「ああ、やめた。きみが作ってくれよ。その方が面白そうだ。ぼくも一緒に作ろう」
バーティミアスは機嫌を直したらしく、もう乗り気だ。
「よし。どんな話がいい? かのオイディプスのような話にするか?」
その単語は、プトレマイオスの興味を引いたようだった。
「父の故郷の戯曲だ。あれは傑作だね」
「悲劇的過ぎてむしろ喜劇だな。よし、真実を探す旅に出る王の話にしよう」
「出生の秘密を探るのかい?」
「どうせなら宇宙の秘密だな。なに、不自然じゃない。その手のことを知りたがる酔狂者もいるもんだ」
バーティミアスは主人を見ながら口の端を吊り上げる。
意図するところを理解し、しかしプトレマイオスは愉快そうな表情になる。
「なら彼をそそのかすのはスフィンクスでも神託でもなく嘆願者だね」
「そそのかすときたか。ファンタジーなんだからウツクシイ話にしようぜ。使命感に駆られるとか」
「よし。それじゃあ――何かの理由で元の場所に住めなくなったとかで――新天地を求めて宇宙の秘密を探しに行くのはどうだい? そうだね……大きな鳥に乗って」
「鳥?」
「あはは。これはぼくが乗りたいんだ。妖霊でもいいんだけど」
「おれたちの栄光が書き残されるのは実に素晴しいが、子供の教育上よろしくない気がするから却下だな」
尤も、ここで妖霊と書くのをやめようが、妖霊が人を背に乗せる(言い換えれば、人に支配される)関係が変わるとはバーティミアスは露ほど思ってはいない。
「どうせぼくしか読まないよ」
笑いながらプトレマイオスはペンを走らせる。
”むかしむかしあるところに、一人の王様がいました。”
おとぎ話を読んだことがないという割りに、よく心得ている。
「うーん、おとぎ話ってもっと夢のあるものと思っていたんだけれど。何かまだ足りないな」
「変な生き物なんかは常套手段だな。金色の象とか、火を吐く蛇とか――しかしおまえさんには珍しくもなんともないだろう」
「きみたちが化けてるんでなければ珍しすぎて拍手するね」
バーティミアスの言葉通り、その程度のものはプトレマイオスにとって慣れっこだった。
妖霊たちは人型をとる必要がない場合、おおよそこの世のものとは思えない姿で主人の前に現れる。
伝説の生き物を模して姿を現す妖霊も少なくないが、いくつかの伝説の生き物はむしろ妖霊の変化した姿が起源かもしれない。
「ふふん、どちらにしろパンチ不足か。じゃあ真っ青な泉とか、見た事も無い様な花が咲き乱れる楽園はどうだ」
「いいね! それこそまさに新天地だ」
プトレマイオスが膝を打ち、先程とは別の紙にメモを書き留める。走り書きの筆跡ですら、一級の芸術品のように美しい。
続きを促すように見られ、バーティミアスは首をひねる。
「桃源郷に行く方法を助けた変な生き物に教えてもらうんだな」
「なるほど。しかしあっさりとは行けないんだろうね」
あごの下でペンを遊ばせながら、プトレマイオスが問う。
「もちろん。話を面白くするには困難がつき物だな。そうそう手に入れられない鍵で扉が守られているとか」
「そうか。 鍵だ! ――桃源郷に至る為ともなれば代償が必要だろう。扉を開ける鍵は人の血だ」
ひらめいた、とばかりに声をあげるプトレマイオスにバーティミアスは笑う。よく見せる、意地の悪そうな表情。
「王が人殺しを犯すのか?」
「その表現は間違いだ、レカイト。彼は羊を殺したんだよ。――でも、その『羊』の血では鍵に成り得なかったとしたら?」
何度目かの質問を投げて、プトレマイオスはすうっと目を細めた。
こんな表情――どこか違う場所を見渡すような――を彼が作るとき、その瞳に宿る光は少年が持つにはおよそ似つかわしくない何かを孕む。
そんな時、今対面している家来でさえも、彼の底を見失うのだ。
「いよいよ悲劇的になってきたな。笑えないぜ。……それで、王自身が鍵だったりするんだろう?」
こくりと小さく頷き、プトレマイオスは微笑んだ。
「そして王は倒される」
ペンを置き、プトレマイオスは仰向けに体を投げ出した。
闇夜の部屋に、しばらく笑い声が響いていた。









プト様がどうしても怖い子に……。

2006/12/22→翌日up