さえぎる




(――あ)
放たれた球は、キャッチャーミットに届く寸前で大きく跳ねた。
小柄な捕手が完全に立ち上がって捕球する。
久しぶりの大暴投だった。地面に投げつける気などもちろんなかった。
落ちかけの太陽に染められた空を背景に、隆也はまったくその場を動かず、静かに立っていた。

首筋に脂汗が滲んでいる。それはすぐに冷たくなってきた空気に晒され冷えて、背筋が震えた。
「隆也! 早く返せよ」
マスクに隠れて隆也の表情は見えない。
ボールを右手で遊ばせながら、小さく首をかしげる。考える仕草。
こいつもオレのコントロールの悪さには慣れてきたはず。
だからこれは想定のうち。そうでなければ困る。
やがて隆也は顔を上げ、ひた、とこちらを見た。
「どうかしたんですか、」
思わずぎくりとした。第一声で『どうかしたんですか』なんて。
「別に。なんもねぇよ」
「今の、わざとじゃないでしょう。具合でも悪いんですか」
真剣そのものといった顔で隆也が言う。
散々ノーコン呼ばわりしておいて、今更わざとという言葉が出てくるのもどうなんだと思ったが、バレていないなら、それでいい。
「どこも悪くねぇっつったろ」
やや語気を強めて言った。ひやりと、また一筋の汗が伝う。
気付けば心臓が痛いくらい速くなっていて、震えが全身に広がっていた。
限界だ。
「……やっぱオレ、少し休んでくるわ。お前、誰か別の奴と組んでろ」
悪りィな、と呟いてグラブを外す。
「え、ちょ、元希さん!」
背を向けて、半ば走るようにロッカールームに向かう。
声は後からついてくる。
あんたホントに大丈夫なんですか、とかいくつもの言葉を投げて来た気がするが、耳も正常に働いていないのでノイズにしかならない。

振り切るように建物の中に逃げ込んで、ドアを閉めた。すぐに鍵をかける。
すりガラスに背の低い影が映り、さらに近づいてきたのか、猿みたいな頭しか見えなくなった。
入るのをためらっているのか、立ち去るのをためらっているのか、しばらくそこに佇んでいたが、やがて小走りに影は消えていった。
そこでやっと、忘れていたように息を吐いて、崩れ落ちた。

治ったはずの膝がまた痛み出した。
痛みよりも恐怖で体が言うことを聞かなくなった。
あの時の絶望がまざまざと蘇る。怪我が治ってもこの呪いから逃げることは出来ないのか。
隆也は、オレの膝のことを知らない。
あの時、オレの世界は一度閉じた。
すべてを憎んだ。
本来、こんなものはオレに架せられるべきじゃなかった。
オレがこんなもの背負わなきゃいけない理由なんてひとつもない。
けど。
それでも、この痛みはオレのものだ。


あいつは、こんな痛みなんか知らなくていい。










2006/08/04 update