狐みたいな人だった。
その男とやり合おうと思った理由はなんだったか。たいしたことではなかっただろう。苛々していたからだとか、そんな理由。
そう、最初は倒す気でいたのだ。
だが、対峙した瞬間すぐにその考えを改めた。本能が感じ取った匂いで。こいつは強いと。

夜更けなのに、酷く暑い。
いや、熱いのか。背中に微かなぬめった感触を感じてそう思った。自分の血かもしれない。
べったりと地面に背をつけた無様な状態ではあったけれど、まだ余力は十分にあった。戦える。
だが、やめた。下手に身体を動かせば血が溢れてきそうだった。いくらなんでも、そこまで慎重に起き上がるほどの気力はない。
しんどい。今の気分を的確に表すとするとそうなるだろう。躾のせいで、そんな言葉を使ったことはないけれど。
「君は」
見下ろされていたと、今気づいた。真上の星をぼんやりと眺めていたから。
初めて聞く彼の声は、それでも彼の声なのだとはっきりわかった。高くも低くもない、柔らかい声。
「……恐ろしいな。そんな状態で笑っているのかい?」
発した言葉とは裏腹に、彼が楽しそうに笑ったのがわかった。この世界に足を突っ込んでからというもの、目が悪いなりに夜目は利くようになってきている。
ああそうか、血だけじゃなく、くすぶる熱だ。こんなに熱いのは。
「……笑っているというのなら」
自然と、口を開いていた。喋るのすら億劫だったのに、自動で自分が動いているように。
小さな声を聞き取ろうと、気配が少し動く。
「その通りなのでしょうね。……僕も、楽しくてたまらない」
かつ、と。崩れた建材を踏む硬い音と共に、また一歩、彼がこちらに寄る。
それだけで、彼の纏った熱気が押し寄せて、喉をふさぐ。
不快には感じなかった。
きっと僕は、欲しくなったのだ。彼の炎を。夜を塗りつぶすその力を。
「ねぇ」
自分の口角が釣りあがるのを、今度ははっきりと自覚した。
妙に饒舌になった自分を笑ったのかもしれない。
「そのうち……近いうちに、引き摺り下ろしてやりますよ」
そう言うと、相手の視線がカチリと僕を捕らえた。暫くして、沈黙が破られる。
「どうぞ。いつでも、待ってるから」
それが初めての、彼の明確な宣戦布告だった。
この炎を従えた男は、なんと自分を敵と認識した。これほどに愉快なことはない。
「あなたの全てを奪ってやる」
後に炎の王と知ることになるその男の背後、月が赤々と、太陽みたいに燃えていた。




















20070418