「本当にこれでよかったのかしら」 「充分。それに、これ以上は問題になるでしょ。うちの規模だと、ニュース沙汰にされちゃう」 「……」 「ありがとう。感謝してるよ」 「それは別にいいのだけれど。約束だし」 「プレゼントだし?」 「ええ。ところで思ったんだけど」 「何?」 「あなた女の子みたいよ」 「ええっ!? 何それ!」 「あら、本当よ。あなたみたいな子、いっぱいいるんだから」 「ちょっと待ってよ、どういう意味?」 「わからない?」 「もう、意地が悪いなぁ」 「あなたには言われたくないわね」 「ヒントちょうだいヒント。まずなんでそんなこといきなり言い出したの?」 「いきなりじゃないわ。今だからよ」 「……へ?」 「……これ以上はヒントじゃなく答えになっちゃうわね」 「いや、全然わかってないけど」 「ある時期に大量発生する女の子に似てるのよ」 「時期……?」 「もしかしたら男の子にもいるかもしれないけど」 「前提覆しちゃう!?」 ☆ ☆ ☆ 光陰矢の如し。 少年老い易く、祇園精舎のなんとやら。 つまり端的に俺の感じたことを文字にするならば、世代交代は目まぐるしい。寮の部屋からはまた三年生が抜けて、ぽかりと空洞ができた。 御幸一也も、いなくなってしまった。 「あ……」 だから、その顔を見るのは軽く久しぶりだった。相手も俺と同じように、驚いた顔をしている。 「どうしたんですか?」 御幸センパイが歩いてきた方向には部室がある。 「あー……ちょっと恋しくなって?」 「ウソつけ!」 わざとらしい目の泳がせ方がまた憎たらしい。この人がそんな殊勝な人格だったことなど、出会ってから今まで一日としてないのだ。 「怒んなって。カルシウム摂れよカルシウム」 からからと笑いながら、右手がわずかに動いたのを俺は見逃さなかった。 「アンタ今なんか隠したろ」 「え? 別に?」 「目の前で見てんだよ! とぼけたって無駄だかんな!」 「別に面白いもんじゃねーよ」 「開き直りやがった!」 相手は、またいつものようにキャンキャンうるさい、くらいにしか思っていないかもしれない。けれど、無性に俺は苛立っていた。最近はほとんど接触がなかったうえに、こんな真似をされると、距離が開いていくようで。 「隠すなよ!」 思わず声を張り上げると、御幸センパイの目の色が変わった。 「ふーん。俺って全部、お前のいいなりでいなきゃダメなの?」 「ちがっ……」 声が上ずった。さらに拒絶されると思うと怖かった。 「なんて、冗談冗談。お前練習終わりだろ。肩冷やすなよ」 ひらりと手を振って御幸センパイは俺の横をすり抜けていった。何も言えなかった。 唇が震える。のどはからからに乾いている。汗が噴き出す。俺はどうしようもない焦りを自覚していた。これではだめだ。 俺とあの人は、恋人なのだから。 ☆ ☆ ☆ 「ちっともわからないの? 意外だわ」 「やめてよ、俺のことそこまで賢いと思ってないくせに」 「あら、思ってるわよ。すごーく賢いって」 「それカッコの中に野球ではって入るやつでしょ」 「それこそ、心にもないセリフでしょ? 卑屈なのはらしくないわ」 「もっとはっきりクソガキって言ってもいいよ。そしたら俺、超興奮する」 「茶化さないの」 「ねえ、もう降参。答えは?」 「一番は、体育祭、かしら」 「体育祭? ……あー、うわあー……」 「私の言いたいこと、わかったかしら?」 「わかったけどさ、うわー……俺そこまで女々しいかな」 「女々しくないとでも思った? まあ、いつもは違うけど」 「……内緒ね?」 「あら、私が約束を破るとでも?」 「それはない。絶対ないから! 怒んないで」 「ふふふ。いじめすぎたかしら」 「ちぇっ。超楽しそうな顔しちゃって」 「自分の普段の行いを省みることね」 「厳しいなあ。……そういえば、今日は随分ゆっくり喋った気がする。俺がいなくなるから?」 「……そうかもね」 「多少は寂しい?」 「さあ、どうかしら」 ☆ ☆ ☆ 御幸一也は、自分の痕跡を消そうとしている。ほぼ直感のように、そう思った。 寮にいた頃から私物は極端に少なかった。いまや、野球部のテリトリーのどこにも、あの人が存在していたことを感じさせるものはない。あるのは、試合の記録だけ。 幸い、着信拒否などはされていない。けれど、どこからどう切り出せばいいかわからず、核心に触れるような話はできていない。このままでは、あの人との繋がりは切れてしまうのではないか。そんな恐怖がちらつく。 「んあー! チクショー!」 腹の底から叫ぶと、隣室の住人が壁を蹴って抗議してくる。見えていないことを承知で手を合わせると、靴を履いて部屋を出た。走れば、少しは頭がすっきりするはずだから。 ほぼ短距離走のピッチでグラウンド裏の土手まで来ると、あろうことか御幸一也その人がいた。ぼんやりと立つその手には、いつか隠したのと同じ何かが。 「御幸センパイ!」 「沢村!?」 明らかにぎょっとした顔にまたムカついて、全力で地面を蹴った。反射的に御幸センパイが逃げ出す。 「おい、やめろよ追ってくんな! 俺引退して体なまってんだぞ!」 「ふざけんなよそんな全速力で!」 御幸センパイはそれ以上喋らなかった。逃げる方に全力なのだ。こうなると怒るを通り越して悲しくなってくる。 「待てよ! そんなに俺に言えないことって、何だよ……」 つい泣きそうな声になって、それに引きずられるように御幸センパイのスピードが緩んだ。がむしゃらに走って追いつく。背中に追いすがり、隠した物を奪おうとしたところで、 「っ、らああああ!」 御幸センパイはその強肩で、河川敷にそれを放り投げた。 「はぁ、はぁ……」 息が上がっている。体がなまったというのは完全に嘘でもないのかもしれない。 「……結局あれ、なんだったんですか」 「……あれは、俺が墓場まで持ってこうと思ってたもんだよ」 「は? ……え、でも、投げちゃって……」 「……ま、そうだな。お前がそんな必死になってくれるんなら、あれにこだわる必要もないのかも、な」 わずかに表情を緩めると、御幸センパイはちょいちょいと手招きした。それに従って草の生えた斜面まで行くと、軽く手を引かれ、そのまま横になる。 「これ、殴り合った後のやつですよね」 「間違ってはないんじゃね? お前掴みかかってきたし」 「物騒な表現すんなよ! ていうか、アンタ制服じゃねえか!」 「別にいい」 それきり御幸センパイは押し黙り、俺の手を握った。というより、子供がするように、指で指を握っている。 「俺、アンタに捨てられるのかと思って」 「まさか」 御幸センパイが息を吐き出した。 「……俺も不安だったよ。忘れられるんじゃないかってさ」 その声にやっと本音が見えたようで、俺はすっかり安堵してしまった。そして、ぼそりとセンパイが言うのを完全に聞き逃していた。 「あれ、入れ物がクッション素材で、蓄光テープべたべた貼ってるから、あとで探せるんだけどな」 ☆ ☆ ☆ 「礼ちゃん、俺に餞別ちょーだいよ」 「餞別? ……お金のかからないものがいいわね。このご時世、便宜を図ったとかなんとかで不祥事はいやよ」 「じゃあ、さ……」 「なんて言うのかと思えば……流出させる気じゃないわよね?」 「まさか! 思い出だよ」 「あなたの口からそんな言葉が出るなんて」 入学以前の記録、ね。 確かにあるけれど。 でも、そんなもの欲しがるなんて、体育祭の後に好きな子の写真をこっそり買う女の子みたいよ。 2014/01/26 |